没後 30年 「志賀直哉展」 開催
昭和 15年から世田谷居住にちなみ世田谷文学館で


 『城の崎にて』 『小僧の神様』 など優れた短編小説を遺した志賀直哉は、強いリズムに貫かれた簡潔で美しい文体により、文学表現に独自の世界を切り開きました。特に、唯一の長編ともいえる『暗夜行路』は、近代日本文学を代表する作品として知られています。この小説は前身の草稿から 26年をかけて完成し、それまで志賀作品の集大成として、全てのテーマが織り込まれています。志賀直哉の文学は、強い倫理感と徹底した人生観照に裏付けられた格調の高い文体の上に築かれ、その後、多くの作家の指標となりました。

 志賀直哉は、明治 16年宮崎県石巻町に生まれ。厳格で現実主義的な家庭で育ちます。父とはその後、足尾銅山鉱毒事件の被害地視察計画や、お手伝いさんとの恋愛、後の結婚問題等で対立。肉親とのこうした関係は、後に自伝的小説 『大津順吉』 『和解』 『或る男、其の姉の死』 等の作品に結実しました。学習院中・高等科時代の直哉は、内村鑑三のもとでキリスト教を学ぶとともに、学友の武者小路実篤・木下利玄・正親町公和らと交流を深め、文学や芸術の魅力に目覚めます。東京帝大在学中の 41年には、処女作『或る朝』を執筆。その二年後、実篤らと「白樺」を創刊し、『網走まで』 『剃刀』 『濁った頭』 『范の犯罪』を発表、大正 12年の廃刊まで同誌での精力的な活動が続きました。
 そして、昭和に入り『邦子』 『豊年虫』を発表したのち、かつて父との不和で家を出て以来書き続けられていた『暗夜行路』連載が途絶え、いわゆる「第二の空白期」に入ります。日中戦争から太平洋戦争に至り、多くの文学者が戦時体制に協力的になるなか、直哉は沈黙を守ったのでした。

 昭和 15年から 23年にかけて世田谷新町に居を構えた直哉は、敗戦直後の第一作『灰色の月』 『蝕まれた友情』等を発表。還暦を過ぎてからの志賀的世界の健全を示しました。
 近隣には、直哉とともに奈良から移り住んできた画家の若山為三や、英文学者で星の研究者として知られる野尻抱影と翻訳家の中村白葉、そして木工家の林二郎や画家の緑川廣太郎らが居を構え、また、以前成城に住んでいた武者小路や、豪徳寺の広津和郎、北沢の網野菊、後に北沢に住まう長与善郎、そして里見クや瀧井孝作らが頻繁に志賀邸を訪れていました。

 本展では没後 30年を記念して、志賀直哉の人と文学を中心に、世田谷にゆかりのある「白樺」や志賀山脈の人々、近隣の芸術家等との交流を原稿、書簡、創作ノート、絵画、写真等約 300点の資料を展示し、志賀直哉の精神世界を展示します。

 ■会 期=平成 13年 10月 6日(土)〜11月 11日(日)
 ■会館時間=午前 10時〜午後 6時 (入場は 5時 30分まで)
 ■休館日=10月 9日(火)・15日(月)・22日(月)・29日(月)、
        11月 5日(月)
 ■会 場=世田谷文学館(〒157-0062 世田谷区南烏山1-10-10)
        TEL.03-5374-9111 

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