燐光群「錦小路の素浪人」ストーリー



 1853年、アメリカのペリー艦隊が来航し、300年にわたる鎖国が崩壊した。わずか150年前のことである。幕府の大老・井伊直弼の独断により、外国人の治外法権や自治権を認め、日本が関税を自主的に決める権限のない不平等条約が結ぱれる。
 弱腰な幕府への非難が巻き起こり、攘夷諭−「洋夷を日本に入れるな!」のスローガンとなり、「開国論」と対立した。く開国諭=西洋列強への敗北>という矛盾をはらんでいたのである。そこから、天皇主権の国家を標榜する輩が現れ、「尊王攘夷諭」が展開される。
 各地の藩主たちは、身分・年齢に関わらず有能な人材をとりたて、軍備を備えたりと、改革を行った。
 有力な大名が幕府内の政治に口を出し、藩内では身分の低い武士たちが盛んに発言し始める……江戸300年の身分制度が、大きく崩れ始めた。

……京都・錦小路。「追われる者は誰でも匿う」と噂される謎の屋敷がある。
 薩摩藩に庇護される「尊王攘夷」派の浪人たちがその屋敷に隠れ、日々、公儀転覆の資金集めと称し、「御用盗」……商家への押込み強盗を働いていた。
 横行する尊王攘夷派の浪人達の振る舞いに、幕府は200人あまりの浪人達を京都に送り込む。彼らは京都守護職の監督のもと、治安維持に務めることとなった。この組織が「新撰組」である。

 ある日、その屋敷に、新撰組隊士「人斬り鍬次郎」こと大石鍬次郎が「宣戦布告」の挨拶に現れる。浪人の一人結城敬介は得意の抜刀術で斬り掛かるが、大石はその太刀を軽くいなし、悠々と立ち去るのであった。
 新撰組への対処をめぐり揺れる錦小路の浪人達。それでも、強硬派の葵誠一郎は次の日標-四国屋襲撃を企てる。行動自重を主張する結城敬助は激しく対立するが、他の仲間達-商人出身の木村源蔵、女言葉を操る松田は、「公儀伝覆」の立前を振りかざす葵に反感を抱きつつも、とにかく葵に従うのであった。浪人以外の住人-薩摩藩士の元妻らしき「女」、何者かに迫われ、傷を負って転がり込んできた商人「徳次郎」と共に、誰もが生きる意味を、生き残る道を模索していた。
 四国屋襲撃の際、葵と木村は編笠の武士に待ち伏せされていた。一人逃れた葵は、
 「木村は敵に背中を見せて斬られ、死んだ」
と言うが、後日、木村は足に傷を負って屋敷に戻って来る。待ち伏せされていた事実、四国屋襲撃をためらい拒んだ結城と、一人無傷で帰ってきた葵との、亙いに相手に対する疑念が噴出する。
 そんな矢先、結城は大石鍬次郎に、
 「公儀はいずれ自減する。そして新撰組はその存在理由をなくし時代の孤児となる。公儀も懐夷も関係なく、組織に使われる男にならずに、僕と組まないか」
と誘われ、激しく心が揺れるのだった。そして……。

 繰り返される熾烈な争い。待ち伏せ、仲間割れ、裏切り。
 自らの信念を胸に、彼らは、来る新しい時代に何を求めていたのか……。

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