1999年、下北沢・駅前劇場の初演以来、地方公演を経て約一万人を動員したIOHの自信作「虹の降る場所」


劇団設立10周年の記念公演第二弾として、恩師・東由多加に捧げ、2002年3月、本多劇場にて上演決定!


【ストーリー】

 秋も深まったある日、古びたアパートの一室で大型掃除機をかける千鶴子の姿があった。同居する純也は、娘・おりえの夫である、いやそうであったと言うべきであろう。
 なぜならおりえは結婚してニ力月後、事故で亡くなってしまったからである。

 お葬式から半年間、二人は本当の親子のように暮らしてきた。千鶴子が、騒音の元凶である掃除機を、隣人達の申し出に従い捨てようとし、アパートの階段から転落(?)することから物語は急展開する。
 電話による伝言ゲームは最後には、“亡くなった”という話しにまで変貌していく。
親戚、アパートの隣人、純也の同僚や最近付き合い始めた恋人、行方不明の息子も
巻き込んでの大騒動になっていく。
 そして千鶴子は一堂に会した人々を前に、奇想天外なセレモニーを催す決心を告げ
るのだった。
 虹の降る場所には幸せが訪れるという、その夜、確かに虹が降り注いでいた…。


【IHO(アイオー)とは】

1992年、束京キッドプラザースの黄金期を、柴田恭兵、三浦浩一、純アリスらと過ごし、ニューヨーク公演、全米ツアー、日本全国ツアーなど経験後、退団した役者(林邦應、小野ヨシミ、名和利志子、磯部弘)が、自分たちのめざすストレートプレイをつくりたいと、設立。2001年十周年を迎え、9月本多劇場にて、記念公演第一弾「きみ去りしのち」(三浦浩−・主演)を上演。大好評のうち幕を閉じる。
 決して派手ではないが、心に沁みる作品をつくり続けて、上は80歳から、下は中学生まで年齢の壁を越えた、客を劇場に呼んでいる。


IOH版家族シリーズ「虹の降る場所」の企画意図として…
                               IHO代表 林 邦應


 IOH(アイオー)は、1992年、東京キッドプラザースを卒業した役者が中心となつて創立された集団です。
 そのとき、一つ心に決めたことがありました。
 “セリフ劇(ストレートプレイ)で勝負していこう!”
 なぜなら、東由多加氏の才能、エネルギー、カリスマ性を肌で感じ、多大なる影響を受けていた僕らが、東京キッドブラザースと同じ方法論をとる限り、オリジナルの世界を作り上げることはできないとわかっていたからです。

 それから10年間、IOHは地道に活動を続け、決して有名ではないけれど中堅の劇団と認知されるまでになりました。
 それも東京キッドブラザース、そして東さんという目標があったからでした。

 1999年11月、この「虹の降る場所」が下北沢・駅前劇場で初演された楽日、東さんが足を運んでくださったうえ、打ち上げにも参加してくださり、ともに盃を重ね演劇論の花を咲かせることができました。
 その際、僕らに次のような言葉をくださいました。

 『IOHの芝居の中には、キッドブラザースの精神が宿っているように思え、観ていて嬉しかつた。僕は、きっともう芝居は創れないでしょうが、IOHはキッドブラザースを継承すると考えないで、このまま自分達の世界を創り続けてください。自信を持っていいです。期待しています。』

 僕らにとって、最大のほめ言葉であり、心にしみる言葉でもありました。
 それはまた、巣立っていった役者たちが、自分を乗り越えて欲しいという最後のエールだつたように思えてなりません。
 その言葉通り、東さんは芝居を創ることができませんでした。
 しかし、芝居にかけた情熱、人生をあきらめないエネルギー同様、最後の最後まで自分の病気と正面から向き合い、戦い抜いたのです。
 その姿は、東さんが創つたお芝居と同じように、周りにいた僕らに大いなる勇気を与えてくれました。

 翌年、2000年4月20日、東 由多加氏は永眠しました。末期ガンの宣告から四ケ月、抗ガン剤治療を受けながらの観劇であり、生前に観た最後の芝居が、この「虹の降る場所」でした。

音楽は、小椋佳が担当、この作品のために曲を書き下ろします。

 東さんが亡くなってから、最後のエールの持つ意味、そして僕らにできることはなにか、遺影を観ながらずっと考えてきました…。
 東さんは後に続く世代への後押しを惜しまない人でした。何人もの役者、そして作家を育て世に送り出してきましたが、東京キッドブラザースが活動休止を余儀なくされた現在、劇団として活動しているのはIHOのみです。
 『このままのスタイルでいいんだよ』という言葉には、ミュージカルを愛してやまなかった東さんにとって、病気のため芝居を創ることができない寂しさが込められていたように思えるのです。

 創立十年を迎えた今こそ、師である東さんへの感謝の気持ちを込め、IHOが新しい冒険をすることを、東さんも天国で喜んでくれるのではないかという結論に達しました。

 そして本当に早いものです、師・東由多加が亡くなり、今年は3回忌を迎えます。

 IHOは“音楽・歌”を取り入れてた芝居づくりに初めて挑戦します。

 地方公演を含み約一万人に絶大なる評価を得、また東さんが最後に観劇した芝居、「虹を降る場所」をあえて選びました。もちろん東京キツドブラザースとは違う、僕らの音楽劇(ミュージカル)になることでしょう。
 音楽は、東京キッドブラザースの数々の名曲を手がけた、小椋佳さんが担当この作品のために、曲を書き下ろします。

 僕らの新しい冒険の足がかりを与えてくれた恩師・東さんの3回忌に向け2002年3月、「虹の降る場所」を本多劇場にて上演いたします。
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