考えてみれば、80年代とはおかしな時代だった。右上がりに成長続ける経済下で、誰もが浮き足立っていた時代。演劇界では、「世界は喜劇に傾斜する」などと謳われ、実際に
「喜劇」 ばかりがはやった。
竹内銃一郎 『恋愛日記』 も、北村想 『屋上のひと』
も、そんな時代状況の中で生まれている。 ただしこの
2作が他の凡百の 「喜劇」 と様相を異にしているのは、そこに醒めた、時代への批評意識が刻みつけられているせいだ。
松本修が注目した 2本の戯曲に共通しているのは、人間存在の小ささ、軽さ、滑稽さ、またその故の哀しさだろう。
それは80年代という時代がもたらした人間への省察であるが、21世紀を迎えても、その省察が少しも古びていないどころか、ますます現実味を帯びて実感されるようになった。
松本が80年代を代表する 2つの戯曲を、どう演出してみせるのか、注目してみたい。
日程・開催場所など問合せ⇒