「不動産業の生みの親」斎藤定男氏死去


 “不動産業の生みの親”ともいうべき元紅弥不動産会長の斎藤定男氏が2月22日肺炎のため療養中の東海大学附属病院で亡くなった。91歳だった。

 終戦後、転勤先の旧満州から引揚げてきた斎藤さん家族は夫婦で世田谷区の池ノ上駅近くで喫茶店を開業。
 喫茶店を訪れる顧客には近隣に住まいを求める人々も多かったその当時、奥様の角子さんは住まい情報をいつしかノートにメモをしておくなどし、住まいの借り手と貸し手の世話をするようになった。

 そういったデータが多くなるに従い定男氏は取引の公正さを考えるようになり、借り手・貸し手当事者間の契約書を発案、法人化した紅弥不動産に適用した。

 当時登録制だった不動産業もやがて免許制に。定男氏はその勉強に励み講師を引き受ける一方、不動産学校を設立し新制度を世間に広める尽力もした。
 電卓が出現する前に計算尺を発明したことでも知られる。













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