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この両者には、どのような違いがあるのでしょうか? もちろんそこに技術的な成熟の違いは明白でしょう。 しかしそれ以上に、写真は元来、現実をありのままに留める記録手段として生まれており、写真が芸術として認知されるに至るまでには、様々な困難を乗り越えなくてはいけませんでした。 芸術としての写真が日本で産声を上げてから、実はまだ百年程度しか経っていないのです。 そうした記録から芸術への変遷・派生という写真の歴史を、一人の画家が若かりし頃に熱中した一群の写真にも見てとれるのでは、という着想が本展の発端です。 清川泰次は、慶應義塾大学予科に入学して間もなく写真部に所属し、学生生活を通じて数千枚にも及ぶ写真を撮影しました。当初は家族の肖像や旅行先での名所名跡の撮影など、日常的な題材を即物的に記録する術として彼は写真を用いています。 しかし次第に、写真の技術書などを読み漁り、写真部で熱心な指導を受けた影響で、当時流行していた新興写真の影響を多大に受けたような“作品"を徐々に残していったのでした。 不思議なことに、清川は画家としての道を選んだ大学卒業後から、“作品"と思われるような写真を殆んど撮らなくなり、自身の油彩画もしくは家族の日常を撮影するのみで、写真を再び“記録"として捉えるようになります。 つまり、大学時代にカメラを用いて創作された“作品"は、芸術家としての萌芽を育むための、束の間の夢だったのかもしれません。 本展では、彼が“記録"として撮ったと思われる写真、“作品"として撮ったと思われる写真を併置することにより、彼が一青年の眼差しから芸術家としての視線を獲得するに至る変遷を辿ります。 ひいてはこれらに、写真が単なる“記録"から確固たる“作品"へと発達していった歴史を重ね見て頂ければ幸いです。
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