「倉科一丸ボクサーがデビュー」



  倉科 一丸(くらしな いちまる)という年齢22歳の青年がいる。 デビュー戦を間近に控えたプロボクサーである。10歳のとき下北沢の金子ボクシングジムに練習生として入会以来ボクシング歴12年。 昨年12月にプロテストに合格した。 通常プロになってからデビュー戦が決まるまでは一年以上かかるところ、合格から約半年というスピードで6月28日、後楽園のリングに立つ。  
  ボクシングを始めたのは小学校5年生のとき。 テレビで放送していた畑山隆則選手と坂本博之選手の世界タイトルマッチに魅了され、その日の内に父親に「ボクシングをやりたい」。多少スポーツはしていたもの、自分から何かを始めたいと言出したのは初めてのことだった。
 「いいじゃん、かっこいい。やってみなよ」。
 小学生がボクシングに挑む…心配して止めてしまいそうなところだが、 息子を応援してみたい、との気持ちが大きく働いた父親は快諾、知人の紹介で金子ボクシングジムへ見学に向かった。 母親に付き添われ小さな体でちょこんと椅子に座る一丸クン。初めてのリングを目にした彼は、入会手続きの志望理由欄に「世界チャンピオンになります」と書いた。
 そんな小さな練習生、初めてつけさせてもらったグローブの、汗と血とワセリンのにおいは今でも忘れられない。 拳にしみついていてグローブを外しても消えなかった。今にして思えば選手たちの必死の想いがこもった故のにおいだ。
 本気で辞めたいと思ったことが一度だけあった。 中学に入って初めてのスパーリング。 わけもわからずひたすらボコボコにされたときだ。衝撃的だった。 翌日は這ってやっと動けるかの全身の筋肉痛とすさまじい吐き気。 そのときばかりは「こんな思いをするんだ。 二度とするまい」と思ったが、数日後には再びスパーリングを受けていた。
 しんどいのは何より減量、“強さをつける”には「極限状態で戦うことが一番」と、まさしくいのちを削りながら自分の限界へと挑戦していく姿は、みていると背筋がすっと伸びるようだ。
 なぜここまで続けてこれたのか。 子どもながら始めた時点で「世界チャンピオンになる」と決意したことにある。

「まずは自分の姿を見てほしい」

 「進路を考える高校二年の頃から本格的にプロになるためのメニュー練習をはじめた。練習中のけがなどもありプロテストを受けるのには時間がかかってしまったが、目標に向かって一つ実現することができた」
 「当時の金子ボクシングジムには小学生の練習生はおらず、身体も小さく受付の机が自分の身長ほどもあり、あの頃は身体が隠れて見えなくて手だけが下からでてくるくらいだったのに。 大きくなったよねえ」
と受付の担当者。 その頃一緒に練習に来ていた中学生などで現在まで続けている人はいないという。

 彼の今の思い。
 「デビュー戦を今まで関わってくれた全ての人に見てもらいたい。 もちろん初戦を飾りたい気持ちはあるが、まずは自分の姿を見てほしい。一番の理解者であり相談相手でもある父、怪我して帰ってくる息子を叱咤激励しつつ支えてきた母、赤ん坊の頃から自分を知っている両親の知り合い…」
 プロになるために大学を中退することを決意した彼は、さらに、
 「今、自分が何をしたいのか、どういう道を歩んでいきたいのかがはっきりと定まらないままに何となく、やみくもに就職活動にむかってしまっている同級生などにも見てほしい」
 「自分はこれだけの思いで日々やっている、その時点で俺は一歩先んじているぞ、こんな俺に負けてていいのか」という姿をみせたいという。
 ゆとり世代、楽な方へ逃げる、すぐ辞める……親世代にとって、「なんとなくで生きている」ように映りがちな現代の若者像かもしれないが、そのイメージは現実とは異なるようだ。
〔本人の希望により写真を割愛致しました。〕 












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