「田辺茂一生誕110周年記念展示会」をみて

 
 圧倒的な品揃えを誇る紀伊國屋書店と座席数410の紀伊國屋ホール(ビル4階)のある紀伊國屋書店新宿本店ビルは、今や情報文化の東京名所といえそうです。

 紀伊國屋書店は他に、全国に66店舗、海外に26店舗、紀伊國屋サザンシアター(新宿南口)さらにネット通販のウェブストアも(2015年6月現在展開)。紀伊國屋ホールではかつて夢の遊民社野田秀樹や東京ヴォードヴィルショーの山口良一などが演じています。
 その紀伊国屋書店の創業者は弱冠21歳だった「田辺茂一(しげいち)」。「茂一」は通称「もいち」と呼ばれていました。紀州備長炭を商う「紀伊國屋」の跡取りでしたが幼少時から本が大好きで、それが高じて書店を開業することに。
 開業場所は茂一が生まれ育った新宿。書店経営の傍ら、ギャラリーやホールの解説、文芸誌の観光など、広範囲にわたる活動を行い、新宿に情報・文化を発信する「場」を生み出しました。経営が安定してからは夜な夜な銀座に出現、飲み歩き、レコードまでリリースしたことがあるとか! あらゆる事象を呑み込んで新宿の町を華やかに開花体現した人だったようです。
 今年2015年は、茂一の生誕110周年。それを記念して新宿歴史博物館では、5月16日より7月5日まで、田辺茂一が考案した雑誌『風景』の作家50人の直筆原稿が展示(写真上)されました。ここで田辺茂一という人物像を垣間見ることが出来ました。

 『風景』は、書店のサービスとして来店者に無料で配布された小冊子でありながら、川端康成、三島由紀夫、大江健三郎、司馬遼太郎、宇野千代など、文壇を代表する豪華な作家たちが並んでいます。その直筆原稿が50人分も一挙に展示されている様子は圧巻でした!
 川端康成は、少し角ばって堂々とした濃い字が文豪の威厳を感じさせる筆跡でした。印象に残ったのが星新一の原稿。原稿用紙のマス目からはみ出さんばかりの大きな丸文字が、星新一のショートショートの世界観に合っているように感じました。
 活字になったものしか見ていないと忘れがちですが、本や雑誌には必ずその著者がいて、それぞれの文化や背景がある…。そう考えると、書店こそ情報・文化の発信の場に相応しいのかも知れません。
 田辺茂一が1970年代に海外の有名作家が紀伊國屋を訪問した時の写真や書簡、還暦を過ぎてから出演した11PMなどのバラエティー番組の台本なども展示され、文化的で華やかな生活を送っていたことが窺えます。

 これまで、「本屋になるのが夢だったという少年の姿」と「“夜の市長”と呼ばれるほど遊び上手な男性の姿」とでは真逆のイメージがあり、それが同一人物であるという実感が湧きませんでしたが、今回この展示を見て腑に落ちたのです。
 書店というのは、ただ物を売るだけの場ではなく、本との出会いを演出するという役割があります。そのように形のないものを創り出すパワーを持った人物だったのでしょう。

 21歳にして新宿に紀伊國屋書店を創業した田辺茂一でしたが、実は40歳のときに、戦争の空襲で建物が全焼してしまいます。すべてを無くし、一時は廃業も考えたのですが、仲間の励ましにより、魚油をペンキの代わりにするほどの行動力で事業を再開します。その新宿の地に歌舞伎町が出来て発展するまでを見守り続けてきた紀伊國屋書店ですが、当時は新宿通りから露店のような店が並ぶ路地を入った奥にあり、紀伊國屋の中にサロンや喫茶などもあったそうです。そして現在の紀伊國屋ビルは、昭和39年に故・前川國男氏の設計で施工され、劇場や画廊が併設されました。

 紀伊國屋書店はこれからも、新宿の街に新たな文化の風を送り込む拠点となり続けることでしょう。

 












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