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関東大震災以後、復興とともに東京郊外に鉄道が延び、宅地開発が進んでいったことから、特に世田谷区には「アーテイスト・コロニー」呼べるような画家、彫刻家、文学者などが集って住まう地域がいくつか見られるようになります。 本展ではこの中の3つのグループ(コロニー)に焦点をあて、そこに集うアーテイストたちの作品などを紹介します。 ■「白と黒の会」 小田急線の〈経堂駅〉から東急世田谷線の〈宮の坂駅〉界隈には、昭和初期から新進の画家、彫刻家、文学者が多く集まり、生き生きとした創作を展開してきました。1941年、彼らは小田急線沿線にアトリエを持つ仲間を巻き込んで、彫刻家・本郷新と画家・内田巌が中心となり、彫刻家、洋画家、日本画家、文学者、美術雑誌編集者なども加わり、ユニークな親睦団体「白と黒の会」を作ります。たびたび、スケッチ旅行や展覧会を開き、「白と黒の会」展を開催、仲間たちが一堂に会しました。 ■「砧人会」 小田急線〈成城学園前駅〉周辺の成城・砧界隈には、「砧人会」という名称の親睦会がありました。画家や文学者、武者小路実篤、野村胡堂のほか、p・C・L(東宝スタジオの前身)の社長・植村泰二も加わって、講演会やレコード鑑賞会、映画鑑賞会を開催。1932年から1939年まで月例で活動は続きました。 ■「自由が丘文化人会」 東急東横線と大井町線が交差する目黒区の〈自由が丘駅〉は世田谷区奥沢の商業地域一帯などを含めて『自由が丘』と呼ばれています。ここで終戦直後の1947年に始まったのが「自由が丘文化人会」。「自由が丘」の名付け親でもある舞踊家・石井漢、文学者の石川達三や石坂洋次郎、駅前で写真館を営む藤原正、写真評論家、彫刻家、画家の宮本三郎らが集いました。駅前広場の女神像(津田政廣制作、台座の揮毫「蒼穹(あをぞら)」は石井漢)はそのシンボルともいえます。 (広報資料) |
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