松屋銀座にて8月22日より始まった「石原裕次郎の軌跡」展。北海道小樽にあった石原裕次郎記念館の閉館を惜しむファンの希望に応える形で、全国縦断の展覧会が開始した。
暑い盛りの平日夕方だが、スーツ姿の男性が一人、また一人と入ってくる。来場者は男性7割、女性3割といった印象。年代は様々。50代くらいの方が多いように思えたが、40代の女性も一人で足を運んでいる。連れ合いが一緒の方は、大概「この作品では…」「ああ、そうそう」と、当時の「裕ちゃん」のエピソードを思い返して話していた。
この展示では、記念館所蔵品からおよそ1000点の衣装、レコード、トロフィーや盾、映画台本やポスターなどをみることができる。『嵐を呼ぶ男』のかの有名なドラムセットなど、撮影で実際に使った品の数々は状態も良く「こんなに残されているのか」と驚くほど。中でも目玉は、まき子夫人に送った婚約指輪や結婚指輪だそう。 デビュー当時の写真を見ると「八重歯の可愛らしい甘いマスクの青年」といった印象だが、撮影用に使われた衣装を目にすると、胸板も厚く「デカイ….」。182cmの長身に股下80cm以上という日本人離れしたスタイルも、魅力のひとつだったのだろう。マネキンの着る衣装からも、「石原裕次郎」という人の持っていた輝きや重厚感を感じた。スーツは撮影用もプライベートも全てオーダーで、デザインも自らするとのこだわりだったようだが、それが最後にずらりと並べられたジャケット・シャツ・靴・ネクタイのコレクションは圧巻であった。
展示では撮影可能なコーナーもあり、そこには貴重な幼少時代の写真、書や絵画、まき子夫人との結婚式衣装もかざられていた。。
デビュー映画『狂った果実』でヒロインを務めていたのが、まき子夫人。今展示をみるなかで、折に触れて夫人との仲睦まじい交流を感じることができたのも印象的であった。互いに贈りあったという日本人形は、それぞれ本人に似ている雰囲気があったし、まき子夫人からの最初のプレゼントが時計だったことから、以降時計をコレクションしていたのだそう。夫人が贈ったプレゼントには全て意味が込められていて、裕次郎もお揃いで服を作ったり、どんなに忙しくても記念日は必ず二人でお祝いしたりしていた。スターコンビの交際を日活側が認めなかったものの、抗議の意も込めて婚前旅行へ行くなど、夫人を大事にしていた様子が伝わってくる。
まき子さんの「裕さん」への愛情の深さはのなかで最も心動かされたのは、「裕さんが元気で60歳を迎えていたら、こんなデザインのジャケットを着ていただろう」と、生前のサイズのまま、専属の仕立師であったテーラーの遠藤千寿さんにお願いして製作したという赤いジャケットであった。まき子さんにとって、いまもなお変わらず、大切な人として心の中に命を燃やし続けている。それはこの展示に足を運んでいるファンの方々にも言えると感じ、「忘れられることなく人の心に生き続けている」石原裕次郎というひとの魂を、ひしひしと感じたのであった。
松屋銀座での展示は9月3日(月)まで。裕次郎の希少な愛車、メルセデスベンツのガルウィングの実物も必見(1階正面口にて展示)。
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