「私の母は大正11年生まれの101歳です

 
 「百歳の長寿お祝いと記念品を、
日本国・東京都・世田谷区それぞれから頂戴しました。」



以下は“その人の意思や努力ではどうしようもない巡り合わせ”幸運に出会い、
その喜びを綴った娘さんのお手紙です。

 

 私の母は、大正11年生まれの、101歳です。
私(娘・70歳)の自宅から歩いて3分の有料老人ホームに入居しています。
 ここ数年のコロナ禍の影響で、玄関ホールから中には入れず、主にガラス越しの面会です。

 去年と今年の2回、母はコロナにかかりましたが、有難い事に、軽症と無症状で、経過しました。
 身体的には、耳が聞こえない(それでも、なんだか前より良く聞こえているような気もします)以外は、さすがに車椅子ですが、服薬の量も以前より減っていて、食事も普通食を食べています。
 やはり、百歳まで生きる人は、そもそも体の出来が違うのだなと…
 その上、母は頭脳明晰なのです。

 ガラス越し面会なので、私は大きいスケッチブックと太いマジックペンを持っていき、画用紙に筆談の内容を書きます。
 私の質問に対して、母は、ガラス越しに私の描いているのを見て、素早く読みつつ、口頭で答えます。

 先日驚いたのは、私が紙に質問を書いている途中、漢字がわからなくなり、ふっとペンが止まった時、母がガラスの向こうから、「字がわからないんでしょう。ふふふ」と、のたまわったのです!
 なんと腹立たしいこと…でも、本当にそうなのです。
 70歳の私が漢字を忘れ、 百歳の母が漢字を覚えているという逆転現象!   
 
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 そして、今年のお正月。我が家には、代々伝わっている「おせち料理」の昆布巻があります。
 母は、料理が得意で、昔からおせち料理は全て手作りでした。ガスレンジと七輪を駆使して、早朝からおせち料理作りに励んでいたものです。
 今年私も、昆布巻きを作りました。しかし、なんとなく味付けがうまくいかないで、いまひとつの出来でした。
 まぁ、仕方がないので、松の内の面会に持参しました。
 相変わらずのガラス越し面会時、スケッチブックに「昆布巻持ってきたけど、失敗した」と書いたら、母はほくそえみながら、「あら、昆布巻は基本中の基本じゃないの。ふふふ」と、私をあざ笑ったのです。
 悔しいけど、本当の事なので、私もうなずくしかありませんでした。

 ことほど左様に、いくつになっても、自分は母親、私は娘なのです。きっと母の座右の銘は、「老いても子に従わず」なのでしょうね。

 そんな気丈夫な母ですが、面会を終えて帰るときには、必ず涙を流します。私も後ろ髪を引かれる思いで、切ないですが、百歳を超えてなお元気で居てくれる母を、いとおしく思いますし、孝行させてくれる時間を、私に与えてくれている事に感謝しています。

 今年も、そろそろ桜の開花予想が出る時期です。
 今年の桜、来年の桜も母に見せてあげられるかしら?と、複雑な気持ちになる、春の一日です。

















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